ラマダン月間秘話
今年もラマダン月間の断食に挑戦した。期間は5月16日から6月の22日までの延長期間を含む約5週間であった。ラマダン中の断食挑戦は今年で4年目になる。毎年のことながら食のありがたみ、タバコがおいしいと感じる。同じ食事でも空腹の後の味は格別に美味しい。お酒を飲む機会がある場合《イスラム教徒は禁酒が建前》、当然、一日のラマダンが終わった6時半過ぎになるが、もしもその席に一人でもイスラム教徒が居る場合、彼らに敬意を払い、私は一切お酒を飲まないことにしている。稲田先生がジュースなんて似合いませんと、何度も友人から言われた。しかし一人もイスラム教徒が居ない食事の席では、ラマダン中でも6時半過ぎの宴会ではたっぷりいただきました。イスラム文化人と我々の長年の生活習慣文化人の双方に敬意を払いつつ、2重文化に対応するのは、結構楽しくもあり、日中の断食、禁酒、禁煙、禁欲を継続した。これもイスラム文化を知らなかった、体験した事のなかった私には相手の立場に立った行動をという常日頃の考え方をただ実践しているだけなのかもしれない。そんなことを学びました。あ~、これで良いのだな、、。


禁酒の話が出たついでに、彼らに、“なぜお酒がいけないのか?”と尋ねたところ、“人が変わるから”との返事が返ってきた。待てよ、“少しお酒が入ったほうが本心を語れ、本当の本人になれる人だっているよ、”と返すと、“多くの人は少しのお酒じゃ止まらない、だから一切飲まないことにする”ということでした。では、ビールの味は知らないってわけ??返事は“飲んだことがないから、知らない”。 じゃ、アルコールの入っていないビール、ビールとはこんな味だというのを試してみたい??答えは“イエス”でした。そんな訳で、今年の9月に無料診療に来る看護師さんにノンアルコールビールを持ってきてもらうことにしました。一人の若いイスラム教徒は“おいし~~~~い”、と言っていた。悪いことを教えちゃったかしら、、、。60歳を超えているだろうスタッフのアリは厳格なイスラム教徒、まだ口にしていない。
金曜日の夜のナイロビ市内は多くの中流階級のケニア人達が町に繰り出す。食事に、お酒に、ディスコに、、、、。ケニアでは酔っ払い運転による交通事故が頻発している。検問でたとえ捕まっても、袖の下で解決。検問の警察官もそれを承知で給与日等を狙って検問をする。ノンアルコールビールがケニアにあれば、酔っ払い運転が少なくなること疑いなし、、、、?
キャンプ準備秘話
7月といえば、9月に行われる第27回無料診療の準備を始める時期である。とはいえ、準備といってもそう簡単ではない。まず第一に、無料診療用に使用される薬剤の購入である。昨年の記録からどのような薬剤が処方されたかのデーターを引っ張り出す。診療に訪れた患者層に違いはないか、どこの地区から多く来ているか、特別な患者事情はなかったかなどを調べ上げる。実は昨年の26回無料診療の時期、クリニカルオフィサーのストライキが一ヶ月ほどあった。ナイロビ市政府関連の医療施設は完全に閉鎖。政府の職員への給与未払いが原因である。行き場所を失った患者たちが流れてきていたのだ。薬剤科からも、“今年の処方が昨年度と少し異なっています”との情報が入って来ていた。必要な薬剤は臨機応変に購入したが、昨年度のデーターを基にした購入では、購入しすぎてしまうことになりかねない。買いすぎても、使用期限が来れば廃棄処分、我々は支援者からの浄財を無駄にすることは出来ない。
購入薬剤のリストが出揃えば、今度はどこの薬局で購入するか、さらにそこの薬局にすべて購入薬剤があるのかも確認しなければならない。数件の薬局をあたる。在庫にすべての注文薬がない場合、アレンジしながら、購入する。各薬局で値段も異なる。交渉が必要になってくる。さあ、何とかそろったかなと、注文品の確認をしてみると、足りない、あれも、これも入っていない、同じ薬剤でも注文とは異なる用量の薬剤が入っている。でも注文書には注文の薬剤が銘記されている。もちろん入っていない薬剤の請求も入っている。翌日、また出かけることになる。これの繰り返し、何度となく市内まで足を運ばなくてはならない。なんと時間を無駄に使わされていることか、、、。
小児用液剤用のボトルがどこを探してもない。日本からの注文では1500個ほど必要とのこと、あせりながら遠近を探し回る。100個ならある、と言われてもその量では役に立たない。最悪日本から??無理、無理、かさばるだけ、、、。最後にようやく探し当てた。値段も多少高いが仕方がない、ようやく購入できた。念のためスタッフに個数を確認させたところ、やっぱり少ない、フタが合わない、また薬局へ、、、。ハハハ、これぞケニア、、、。
今年は薬剤科と検査科に新しい“折りたたみ式の棚”を作ることにした。以前使っていた薬剤科の棚は借り物、さらに総勢5,6人で運ばなければならないほど重たい。そこで、今年はその大きさを三分の一にした折りたたみ式の棚を3つ造ることにした。もちろんイナダ棟梁の作品である。



おい、おい、出来上った頃に来るなよ、、、、。 キャンプ診療中に出来上がった薬棚を使いました
他の在庫チェックもある。歯科の器具、歯科麻酔薬、使い捨てグローブ、検査科の検査キット、使用期限の確認、採血管、注射針、アルコール綿。鍼灸科の鍼灸針、長さも違う、太さも違う、、。
次は書類だ。診断名書き込み用紙、処方箋用紙、HIV検査依頼用紙、他医療施設への紹介状用紙、確認検査依頼用紙、無料診療を受けたことを証明する会社や学校に提出する書類等の作成だ。コピー機のトナーも十分に確保しておかねばならない。
その次はキャンプブースを組み立てるための鉄柱、シーツ等の確認。壊れたりしていないか、数はちゃんとあるか、シーツが汚れていないか、テーブルも1年ほこりにまみれているだろう等、大工仕事や洗濯も待っている。
これらを何とか終わらせるまでに7月はおろか8月に入ってしまった。8月には無料診療開催許可の申請、診療をする公民館借用の予約申請が始まる。昨年は難癖をつけられたサブカウンティーを飛びこして、その上部組織であるカウンティーの事務所に直接願い出た。昨年の担当官は、これまでに見たことのない無料診療にえらく感激していたことを踏まえ、最終許可を出すカウンティー事務所へ申請した訳である。相手も許可を出すつもりで話が進む。が、やはり匂いがする、、、。案の定、早めに“匂い消し”に袖を通してもらった。担当官はしごくご満悦。翌日会場となる公民館施設を下見に来た後、すぐに許可が出た。
日本からの医療従事者のケニアにおける一時医療免許の申請もこの時期だ。今年は申請日にその場で許可が下りた。もちろん鼻薬はあたりまえ、、、。
ルールに則った申請でも鼻薬が必要。そしてその効果もある。それを利用しないわけには事が進まないのがケニアの現状である。
また、8月も後半に入れば、無料診療中の現地ボランティアの確保が待っている。毎年無料診療を経験したボランティアに電話連絡。多少のお小遣いと昼食付きである。更には、昼食のケータリングをしてくれる食堂を訪ねる。もちろん、ガソリン代の高騰、食材の高騰を理由に値上げが待っていた。昨年は食あたりを起こした先生や現地ボランティアが出た。食材も食器も清潔なものを使ってほしいということになる。任せてくれと言われても、どう信用すればいいのだろうか、、、。それでも今年も数名の先生が腹痛で寝込んだ。現地ボランティアには誰も出なかったことから、昼食ではないということになった。
一方、老骨に鞭打つ私を思って、今年も5名(看護師4名、薬剤師1名)の先発隊がキャンプ開始数日前にナイロビに到着した。我々のスタッフがしたキャンプ前の薬剤や器具の在庫の再確認をして頂いた。薬品名、用量、期限等の再確認である。以前のキャンプで、薬剤リストにはあるが、ものが見当たらないということがあった。うれしい事に、先発隊の皆さんは、私個人用に毎日昼食も作ってくれた。事務所で昼食を取るのはこの時期しかない。

この様な準備が、すべての先生方が到着する9月15日当日まで続いていたのである。あ~~、これでようやくキャンプが始められる、、、、。
関空浸水と北海道大停電の影響秘話
キャンプが始まる少しまえ、9月4日、巨大な台風21号が日本を襲った。前述のごとく、キャンプ準備に追われ、日本で起きていたことに注意を払うことが出来なかった。9月に台風が日本に上陸、いつもの事くらいにしか考えなかった。しかし、待てよ、、、。 関西空港が水浸し?? 関空からは5名の医療者が来ることなっている。まさかと思いながら、新聞に目を通してみた。復旧には時間がかかると出ている。これはまずい。日本側と連絡を取ってみる。案の定、関空は閉鎖でてんやわんや。先生方を乗せるはずだった関空発の飛行機はキャンセルとなり、先生方はやむなく名古屋の空港まで行かされる羽目になった。 しかし、その裏には、出発は夜の11時、病院での仕事を終え、空港に向かうははずだったのが名古屋出発になり、3名の先生方は仕事を終える前に病院を出なければならなくなった。仕事を終えて出発のはずが、出発が早くなり、それも名古屋から、、、代わりの先生がいない、、、、、。他の先生に頭を下げ、ようやくのことで、代診の先生を確保したとのことである。

ほぼ時を同じくして北の北海道でも、前代未聞の大規模停電が起きていたのだ。9月6日に北海道を襲った地震のため(写真上)、発電所が停止、電力を供給できなくなった。実はこの北海道釧路市からも4名の先生が来る予定になっていた。病院だって停電、被害が大きければ、“ケニアのキャンプに出かけますので、あとは宜しく、、”なんてことは口に出せない。
これはまずい、送迎の件、宿泊日数の件、キャンプの開始日等、万が一を考えて、変則日程を組んでいた。まったくの想定外の出来事はケニアだけに限らず、文明の発達した日本でも起きていたのだった。
しかし、ほぼ予定通り全員無事にナイロビに着いた。やはり、誇れる日本がそこにあったのだ。 ほっ、、、、、、。
食材支援秘話
国際ソロプチミスト安城からの食材支援を始めてから10年の年月が流れた。私がまだケニアに移っていなかった2008年からの2年間は現地で仕事をしていた五十嵐真希さん、富塚比咲子さんに買い出しから配達までお願いしていた。その2人の女神、五十嵐さんはレバノンのべールート、富塚さんは日本と、離れ離れになってしまったが、給食サービスは続いている。 1年間で600キロのお米、炭俵24俵、食用油120リットルを使って、約1万2000食を提供した。
しかし、炭の値段、お米、食用油等の高騰で、支援金支出が徐々に増え始めている。特に炭の価格の高騰は激しい。
炭は薪が無ければできない。薪を集め、炭を作るのは山里に住む住民の生活の糧であった。炭の値段が比較的安かった時代であった。 しかし、我も、我もと木を切り倒し、炭作り、生活費を稼ごうといったことが、行き過ぎたのであろう、政府は樹木伐採を制限した。つまり勝手な樹木伐採、炭作りは取り締まりの対象となった。生活費のための伐採、炭作りにも影響が出始めた。そうなれば、闇の中での炭作りという事になる。山の中で煙が立ち上がっているのを見つければ、直ちに警官が駆けつける。もちろん袖の下で何とか切り抜ける。従って製品のコストは上がることになる。そんな炭を我々は買わされていることになる。
このままでは近い将来の更なる値上げがあること間違いなしと予想し、何とかプロパンガスを使用できないかと考えている。小型のドラム缶を半分に切り、そこにガスバーナーを取り付けて、プロパンガスタンクを取り付け、クッキングテーブルを作れないかと考えている。計算するとプロパンガス使用の方が格安になる。木炭よ、さようならの時が来るよう、日々考えを巡らせている“前期高齢者”の稲田がそこにいる。
自家製プロパンガスコンロが出来た暁には、速報でお知らせします。
なお、無料診療キャンプにつきましては、会報に掲載するということになり、1月以降に発行の予定です。 しばらくお待ちいただければ幸いです。
Y. Inada