ムワニ便り:2017年8月から12月編

食材支援になる異変とコトレンゴホーム往診、第26回無料診療、更に大統領再選挙、スタッフのアパートの火事、新装事務所兼診療所、乳がん患者ついに去る、キャンプ参加者の結婚など満載のプムワニ便りです。

ナイロビは赤道直下、12月、1月は真夏の真っ最中。さぞ暑いところと思いきや、年間の気温は以下のよう、、。

体温よりも高い温度を示す日本のどこかの都市に比べ、なんと過ごし易いナイロビかが判る。夏物、冬物の衣服の交換の手間もなし、洗濯物はすぐに乾き、乾燥機の必要はまったくない。一人住まいの私にとってはもってこいの気候です。ただ難点は、日常の交通渋滞と、乾季節の埃、、、。

この埃のため、室内はなんとなくざらつき、机の上やコンピューターの画面はうっすら粉埃がかぶり、すっきりきれいとは言い難い。

今年もこの埃と、交通渋滞と戦いながら2017年が終わろうとしている。そして8回目の正月をナイロビで迎えることになる。そう、ケニアに移ってから8年の歳月が経った。HIV/AIDS医療において、なにか出来るうちにと思い立ったのが8年前、う~~ん、やはり来ていて良かった。ここでのコンサルテーション診療活動も順調(最近は手ごわい患者の紹介が多い)、現地HIV/AIDS医療従事者の考え方の質の向上が見られるようになってきた。今年10月には抗HIV薬の新規認可もあり、欧米並みの薬剤が手に入るようになった。しかし、これで終わりではない、今後も新情報の提供、新薬の服薬指導等まだまだ啓発教育活動は終わりそうもない。

クレセントメディカル社、食材支援に疑惑 

前回のプムワニ便りにも、“ここ10年以上も継続していた現地のCrescent Medical社が3月の支援から撤退してしまった。何が起きてもおかしくないアフリカ。驚きと言えば驚き、当たり前といえばそれまで、、、。”と書いた

しかし、驚くべきことが起こっていた。クレセントメディカルの会計帳簿に不審な点が見つかったとのことで職員の訪問が8月にあった。食材支援への出費以外にも何件かの出費が計上されているにもかかわらず、相手先が受け取っていない、つまり出費を任されていた人物が、帳簿には書き入れ、その分を着服していたのである。我々はてっきり打ち切られたと思っていた。“驚きと言えば驚き、当たり前といえばそれまで、、、。”しかし、事件が発覚しても、残念ながら支援は元に戻らなかった。今でも土日無しの平日のみの食材支援を継続している。日本人が考える事情よりアフリカの事情に合って来たのかもしれない。子どもたちの親や親族からは何の不平も出て来ていない。これでも良いのかもしれない。

8月、男の子544人、女の子623人の計1167人、9月は男の子673人女の子468人の計1141人、10月は男の子526人、女の子468人で計994人、11月は男の子494人、女の子386人、計880人であった。この4ヶ月間で延べ4182人の子どもたちのお腹が満たされたことになる。やりくりしてきて良かったと思える数字である。来年も頑張ります。

エイズ孤児施設コトレンゴホーム往診

ここの施設では約60名近くのHIV感染の子どもたちが中学卒業まで暮らす。更に地域中学を出て高校、大学へ通う子どもたちが約20名ほどいる。高校へ通う子供達は全員がイタリアコトレンゴ教会が経営する私立高校へ行き、寄宿舎生活をしている。高校、大学に通う子供達は学校が休暇に入るまでコトレンゴ施設には戻ってこない。この時期しか診察や検査が出来ない。もちろんきちんとした服薬が出来ない子どもは、具合が悪くなってこの施設に戻って来る。押しなべて高校生、大学生の経過は良くない。服薬をきちんとしていないのだ。

実はこのコトレンゴ施設にはHIV/AIDS専門の医療スタッフがいない。24時間体制で看護師は常駐するが、どちらかと言えば、怪我をした、下痢をした、熱が出た等一般的な対症治療行為しか出来ない。エイズ医療に関してはほとんど知識がなかった。つまり保母的な存在であった。本格的に経過観察をしなければ、子供達は確実に悪化するであろう状況にあった。

そこで、多くの子どもたちの経過観察をするためにはこちらから出かけることが最適と考え、クリニカルオフィサーのDr Mwajuma Ramadhanと私の二人で土曜返上で往診をする。定期検査の必要な時期が来れば、土曜かウイークデーに診療所に来てもらう。これがかなり定期的に行えるようになった。しかしその分新たな経費増に繋がった。幸い助成先を探し、来年4月からの1年間の助成を申請した。1次審査は通過した。2時審査で認可が出ればうれしい。“資金が尽きました”と言って打ち切れる活動ではない。更に近隣の孤児施設にも全員ではないがエイズ孤児がいる。HIV/AIDSの専門家がいないこのような施設にエイズ医療のあり方を浸透させれば、薬剤の恩恵を届けることが出来そうだ。このような施設には政府からの薬剤の無料配布はあるものの、経過観察往診診療のサポートはない。まだまだ気の遠くなりそうな道のりがありそうだが、子どもたちがだんだん良くなっていく姿を見るとうれしい。

下の写真は2歳でこの施設に引き取られ、今は18歳になった大学生である。検査結果から服薬をまったくしていなかったことがわかった青年である。それでも“飲んでいる”と言い張る。幸い日和見感染症状は出ていなかったが、一ヵ月後結核を発症、入院。ようやく薬を飲み始めた。手遅れにならなければ良いが、、、。

第26回無料診療無事終了、でも色々ありました、、、、、9月の第26回のキャンプは開催前の準備段階で開催を届け出たところ、市政府から開催申請許可願いの正式書類の必要性、そして開催許可が無ければキャンプを開催できない(過去17年間一度もこのようなことはありませんでしたが、ナイロビ市衛生局がそのように言うのですから仕方ありません、鴨がねぎを背負ってきたと思われたのでしょうか、、)ということになりました。その申請プロセスには言いがかりのような難癖、この書類が足らない、あて先名前のスペルが違う、キャンプ開催場所の視察、使用器具、機械の点検、その視察時のタクシー代の支払いなどが終わらなければ開催許可を出さない、医療従事者の一時免許推薦状も書かない等、この問答がキャンプ前々日の金曜まで続き、ようやく袖の下の要求を察知にまでこぎつけるなど散々な目に逢いながらキャンプ初日を迎えました。しかし、追い討ちはかかるもの、キャンプ中にも、市の治安会議があるとのことでキャンプに使用中の公民館の明け渡しを要求される(6日間の貸し切りは市の使用許可のもとで行われているのですが、、)という想定外のことが起こりましたが、事なきを得、最終的にはコトレンゴ施設での小児科医、歯科医による1日チェックアップ患者を含め3095名の患者の診察を行うことで無事終わりました。ちょうどこの時期クリニカルオフィサー、看護師のストライキのため公立病院が閉鎖されていたためでしょう、多くの患者が我々の無料診療を訪れたようで、処方箋数にして昨年を700枚も上回る来診がありました。日本から成人科医4名、小児科医3名、歯科医1名、歯科助手1名、薬剤師2名、看護師4名、、現地スタッフは私を含め5名(小児科クリニカルオフィサー1名、カウンセラー2名、検査技師1名、そして私稲田)、そして現地非医療従事者19名の参加のもと、5日半の無料診療が行われた。

成人科診療 〔診察数1702名〕

小児科診療〔診察数933名〕 

歯科診療〔診察数170名〕 

鍼灸診療〔診察数228名〕

   一人で1日50名の患者を診るのは普通じゃ出来ない。

検査科〔HIV検査受検者数92名〕

92名中、HIV抗体陽性者は5名(男性2名、女性3名、うち女性1名は以前に陽性が判明していた)、5%の陽性率であった。男性2名と女性1名は初めての検査で陽性、他の1名の女性は2012年に検査をして以来5年ぶりの検査で陽性が判明した。陽性が判明していた16歳の女子は高校へ通うため遠隔地の祖母に預けられていたが、服薬指導をされることもなく、病勢の悪化により母と共に無料診療キャンプを訪れたが〔公的HIVクリニック施設がストライキのため〕、再診を待てず2日後に力尽きた。効果のある薬剤があるにもかかわらず、患者への服薬指導が十分になされていない。悔しくてならない、、、、。

薬剤科

9名の先生方から次から次へと処方された処方箋、なんと3000枚を越え5日間の無料診療にしては過去最高を記録した。その忙しさは半端じゃない。1日7時間活動したとして、1時間に77枚の処方箋が回ってきたことになる。つまり、一分間に1、3枚の処方薬をそろえなければならない。

大統領再選挙

2017年8月8日、現職ウフル・ケニアッタ氏〔初代大統領の息子〕の任期切れによる大統領選挙が行われた。野党党首のライラ・オディンガ氏との一騎打ち。2007年に行われた大統領選挙では、ムワイ・キバキ氏とオディンガ氏が立候補、キバキ氏が当選するも、その当選に異議を唱え、各地で暴動が起き1100名以上の死者を出した。キバキ氏は暴動を鎮めるため、コフィ・アナン前国連事務総長らの仲介によりオディンガ氏との連立政権樹立で合意し、オディンガ氏に初めての首相職を与えた。しかし、前回の2013年の選挙で勝利したケニアッタ大統領は首相職をなくし、オディンガ氏を排除したのである。そんな因縁の対決の中で選挙が行われた。

投票所では長い列が出来、朝の6時から並んでようやく午後の3時、4時に投票が出来るというありまさま。8月13日、選挙管理員会から、100万票以上の大差で現職大統領再選が発表された。しかし、落選したオディンガ氏は得票数集計に不正があったとして、最高裁へ提訴、最高裁は不正があったことを認め、10月26日に選挙のやり直しを命じた。しかしオディンガ氏は不正に関与したとされる選挙管理委員会の委員の刷新は行われず、再び不正が起こりかねないとして立候補を辞退、ケニアッタ氏の一人相撲となった。投票率は35%以下〔前回は80%以上〕、国民の信任を得た当選とは言い切れない。しかし、投票者の98%を獲得し、当選は有効、ケニアッタ氏の2選が決まった。言い換えればオディンガ氏支持者であったであろう45%の有権者は投票にいかなっかったと言うことでしょう。もしオディンガ氏が立候補し、今回投票に行かなかった80-35=45%の人がオディンガ氏に投票と考えれば、オディンガ氏が新大統領になっていたかもしれません。しかし、オディンガ氏の年齢、72歳を考えると次回選挙には出馬しないかもしれません。

現地スタッフ、ジョセフ ワムボゴのアパートが全焼

2017年11月17日未明、現地スタッフのジョセフのアパートの近くから出火、ジョセフは飛び起き、消火活動を手伝いに外に出た。無料診療の際に話に出てくるスラム内の学校の近くである。スラムのど真ん中、当然消防車などすぐには来ない。たとえ来ても燃えた後、、、。更に消火栓など見たことがない、給水車も来なくては消火活動が出来ない。

バケツリレーでの消火、火の勢いは止まらず、ジョセフのアパートに向かって火の勢いは増すばかり、、。まずいと思ったジョセフは家に引き返し、学校が冬休みで帰宅していた娘たちを起こし、取るものも取りあえず、外に出たと言う。火の手はもうそこまで、自宅に火が移るのを見る以外何も出来なかった。

このアパートは市営だそうだが、市が修理するなどの話はまったく出てこない。空いたままになれば、誰かが勝手に来て住めるようにし、住みついてしまうそうだ。 無一文、すべてを失った。友人宅に娘二人と身を寄せたが、やはり居心地はわるい。こんなメールが日本訪問中の私に飛び込んできた。さすがのジョセフもがっくりしていると聞き、ジョセフを知るキャンプ参加の先生方に連絡、義捐金を集めることとなった。“お金を借りてでも良いから、とにかく修理を始めろ” のメールを同僚のアリに送った。数日後、修理が始まり、まずは屋根から、、、、。あれよ、あれよという間にトタン屋根が出来上がる。これで雨はしのげる。トタンむき出しではナイロビの夏は過せない。これでようやく落ち着けたようだ。ご支援を頂いた先生方には深く御礼申し上げます。有難うございました。

スラムでは火事は良くあること、高価な検査機械のある事務所兼診療所も何が起こるか、心配になってきた、、、、。

新装なった事務所兼診療所 “竜宮城”

長い年月がたち、ようやく完成間近までこぎつけた。大工もやった、ペンキ屋もやった、配管工事もやった。100%の納得とはいかないが、この辺が潮時、早く移りたい気持ちがそうさせた。12月18日に今までの部屋を空け渡した。1月2日までの約2週間で診療ができるようにする.。すでに診療室2つ、検査室1つ、採血室1つ、水洗トイレ1つは完成、残りのカウンセラー面談室2つ(この2部屋は立ち退きが12月18日であったため、まだ手がついていない)、礼拝室1つ、キッチンと納得のいく完成は間近い、、、、。     ここまで来るのに2年以上かかった。わが竜宮城である。検査室は部屋は出来上がったが、まだ移動していない。しかし、まだやることはある。物入れのキャビネット作り、新しい椅子の購入など、これからも少しずつやろう。

乳がん患者ついに去る、、、、、、

ジャネット(仮名)、2015年、ようやくHIV 感染症の治療も効果が現れた矢先、たった2ヶ月の間に外から見て判るほどの乳がん、更にリンパ節へ転移が見つかった。泣き崩れる彼女とその日数時間も話した。その後も何回も話した。ようやく治療を受ける気持ちになった。しかし、予後は良くないと思われる検査結果。治療法は化学療法のみ、他の治療法は効果がない。進行度も第4ステージ、もう延命しかない、、、。腫瘍専門の宮城島先生に相談、効果が期待できる制癌剤の組み合わせを教えていただいた。といっても、その薬剤がケニアあるか定かではなかった。数件のナイロビ市内の病院をあたり、ようやくある病院にたどりついた。ケニア政府には医療保険制度がない。入院費(入院保険あり)を除くすべてが自費である。通常なら知人、親戚からの支援で初回治療は何とかなる。しかし、再発すれば、その後の再治療を受けられる患者は少ない。制癌剤に続き、放射線照射、乳房切除も行った。6ヶ月間の治療は順調に見えた。腫れていたリンパ節も消失した。そのときの彼女のうれしそうな顔が今でも私の目から離れない(写真掲載は控えさせていただきました)。しかし、その6ヵ月後再発、残った乳房にも転移が見つかった。薬剤の組み合わせを変えた2回目の治療が開始された。ほとんど効果は期待できなかったが、やるしかない。飲み薬であったせいか、副作用が極めて少ない。少ない代わりに著効も認められず(?)、癌腫は小さくならない。それでも彼女は明るく振舞っていた。2回目の治療も終わりに近づいた10月、呼吸が出来ないと緊急入院、肺に転移か?、尿も頻尿、腎臓にも転移か?ついに人工透析が始められた。10月17日、3回目の人工透析の後意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。39歳の若さであった。よく頑張った。ゆっくり休めるね、、、、。

多くの皆様から彼女の治療費支援を頂き、心より感謝しております。有難うございました。スラムに住む住人が最後まで先端の治療を受けられたことは、彼女にも満足してもらえたと思っております。

キャンプ参加者の結婚

濱ちゃんこと歯科衛生士の濱村千晶さん、ケニア無料診療に参加すること4回目、歯科助手を務めてくれたベテランである。専門助手がいると、こうも歯科診療が順調に進むのか、歯科医の先生方は濱ちゃん無しでは診療できないとまでの参加推薦リクエスト。もちろん先生方の診療の質の向上のためにも、参加は当然のことであった。

その濱ちゃん、最近はキャンプ開始前にナイロビに到着、無料診療終了後もしばらくナイロビに滞在していた。私は鈍感なのであろう、やはりケニアが好きなんだ位にしか思っていなかった。そんな彼女、実はボーイフレンドがいたのでした。居てもたってもいられなくなったのか、ついに結婚を決意、市役所で婚姻届をし、めでたくゴールインしました。

濱ちゃん、エイドリアン、末永くお幸せに !!いずれは日本で一緒に暮らすそうです。

さて、私事ですが、周りに刺激されてか,再婚を決意、、、なんてことは起きそうもありません、、ははは、、、。

本当にいろいろなことが起こった2017年でしたが、今年も余すところ数日、来る2018年も活動が順調に進むよう誠心誠意頑張ります。宜しくお願い申し上げます。

2018年が皆様にとってすばらしい年でありますよう祈念いたしております。

                                                  From Inada ナイロビにて

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