プムワニ便り :食材配達とコトレンゴホーム新プロジェクト、そして今年もラマダン断食、更に大統領選挙 2017年3月から7月編

ケニアはただ今真冬の真っ最中、日本では猛暑中、人間の体温よりも気温のほうが高い、人間同士抱きあっていたほうが涼しいなんて、そんな猛暑の日本へはとても帰る気になりません。ひたすら心地の良いナイロビにこれからも居られることを望みながら、筆を取りました。 と、言っても4ヶ月ぶりの事、なかなか思うように進みません。

食材支援に異変 

数年間休止していた日本のNGO代表の神部氏による支援(土日のみの月約10日前後))が2月から再開されたのもつかの間、ここ10年以上も継続していた現地のCrescent Medical社が3月の支援から撤退した。何が起きてもおかしくないアフリカ。驚きと言えば驚き、当たり前といえばそれまで、、、。実は、食事を毎日作ってくれているマママジワへのお手当て、および月の半分の食材支援はこのCrescentから出ていた。お手当ては一ヶ月約8000シリングだそうだ。一日260シリング、孫との二人暮らし。これで電気代、家賃、食費を捻出しなければならない。我々は食材に限り支援をしてきたが、食材があっても作る人がいなければ、給食は子供たちに届かない。マママジワが何度も相談にきた。まず子供たちの親を集め、いかにしてマママジワのお手当てを捻出するか話し合わなくてはと言い聞かせた。一日平均50名の子供たちが給食の恩恵にあずかっている。その子供たちの親が子供一人につき1日5シリングを出せないものか?50人で30日、7500シリングになる。これで何とかCrescentの埋め合わせが出来そうと思ったが、、、、、。親たちは3度ほど会合を持ったが、5シリングは出なかった。つまり月150シリングは無理との結論。出せない額ではないはずだが、ふと、ネガティブな考えが頭をよぎる。支援をうけて当たり前、支援をする側が考えてほしい、とでも言うような結論を、、、、、。自立の可能性を親自身自ら否定しているような、、。支援とは難しいものだ、、。

と言っても、子供たちの空腹を目のあたりにしては何とかしなくてはと思うことが先にたち、マママジワのお手当てを捻出する努力をしてみた。過去数年間、神部氏による支援が途絶えていたころ、日曜の給食はなかった。土曜日も我々の支援が始まるまでなかった。親たちが払うことが出来なければ給食のない日をもう一日増やしてしまう。一日5シリングすら払えない親たちは文句を言えないはずだ。土日の給食を休みにする。現在の神部氏の土日分の支援をCrescentの食材支援分(月の約半分)にまわす。平日の食材はこれで確保できた。しかし、まだマママジワのお手当は出ない。

これまでの食材買出しはスーパーマーケットで行っていた。通常スラムに住む住人たちは我々の行くスーパーマーケットでは買い物をしない。つまり高額なのである。よく聞いてみると、隣村のEastleighというところのホールセール店があることを知った。まとめ買いをすれば安くなる。そうか、そこで買えば少しは総額が減るのではと思った。しかし、EastleighはPumwaniの住民も隣村であるにもかかわらずあまり出かけないところである。つまり危険な地域、ソマリア系のテロ組織の隠れ家とされているからだ。外務省の通達でも行ってはいけない地区指定されている。実は我々の事務所のあるプムワニ地区でさえ同様なのである。Eastleighの住民はほぼ100%ソマリア系の住民である。英語が通じない住民たちが多い。住民のソマリア人は100%がイスラム教徒である。爆弾テロもあった。日中でさえ強盗があると聞く。そんな危険なところへ買出し、、、、?ふと今から41年前にニューヨークで仕事を始めたころのハーレム地区を思い出した。当時、郊外に住むほとんどの日本人はハーレムを車で通るだけでもおっかなびっくりであった。私が当時住んでいた(いまでも現住所はここに住んでいることになっている)コロムビア大学の職員住宅はそのハーレムの入り口にあった。しかし、危険な場所と感じたことは一度も無かった。つまり自分は訪問者ではなく、住民という意識が危険と言う意識を捨てさせたのであろう。そうか、、、私もケニアの住民(7年半も住んでいるのだから)、、、。え~い、出かけちまえ、、!出かけてみれプムワニとそう変わらない。リアカ-と自動車でごった返す風景はプムワニとそっくり。

違うのはソマリア人の顔立ち、ソマリア人イスラム教徒の女性の衣装が全身すっぽりの黒装束、“目”しか見えない。新たな異文化に接した気持ちで結構楽しくなった。

さて、そこでの購入先の店にめぼしをつけ(写真左のお店)、中に入る。じろじろ見られている視線を感じる。そんなことはお構いなしに住民面でずけずけと交渉に入る。もちろんスタッフのジョセフの同行もあり、外国人用の値段ではなく、住民用の値段で購入できた。 スーパーマーケットで購入するよりかなり安い。全体で2000シリングは安い。うふふ、この分をマママジワのお手当てに回せそうだ。今後は月一でここに出かけることになりそうだ。

さて、給食サービスに訪れた子供たち、3月はCrescent Medical社の撤退もあり、男の子420人女の子542人の計962人、4月は男の子444人女の子675人の計1119人。5月は男の子464人、女の子665人で計1129人、6月はラマダン断食のためか(おそらく無関係?)、女の子が少なく(なぜだろう??)男の子439人、女の子380人、計819人、7月は男の子571人、女の子531人合計1102人であった。月1000人前後の子供たちの昼食が奪われるを見るのはつらい。なんとしてでも続けてあげたい。

上の写真、Crescent Medical社のバナーが消えている             上の写真、Crescent Medical社のバナーが消えている

 

 

 

 

 

      

コトレンゴエイズ孤児施設訪問診療

コトレンゴ施設からの子供は現在66名が対象になっている。この66名の中には高校(全員が全寮制)や大学に通うため、あるいは就職しているため施設を出た子供も含まれている。休みになれば皆ここに戻ってくるのである。更に、この施設では他の孤児施設のエイズ患者の投薬(薬剤を渡すだけで経過観察は行っていなかった)も行っていたことも判った。コトレンゴ施設の責任者のシスターマーシーから他施設の子供も診てもらえないかとの申し出があり、前述の66名に加え、ヘキマ地区からの16名が6月から新たに加わった。平均年齢はコトレンゴの子供たちより歳上の子供たちが多かった。病勢把握のため、予診に始まり(往診)、血液検査(診療所への来診)を行う。この時点で失敗例、安定例、浮き沈みがある例等経過が大体わかる。この段階で失敗例と思しき症例については直ちに薬剤の変更の可能性を探る検査を行う。また安定と思われる患者でも安定度把握のため数ヵ月後に再検査を行う。各検査の間の期間にはまた往診による経過観察がある。このように検査、経過観察を行うことで病勢を把握し、病気と上手く付き合えるようにすることがエイズ医療の基本であることを施設のスタッフに服薬指導も含め教え込む。これが新プロジェクトになった。いや大変なことを始めちゃいました、、、。とほほ、、。特に施設の看護師の手を離れ、自身で服薬をしなければならない学校に通う高校生、大学生たちに問題があることも浮き彫りになった。これらの子供に限らず、どこの医療施設でもローティーンからハイティーンの子供たちの服薬には問題を抱えている。

なぜこのような依頼があるのだろうか、、?

第1に、施設の看護師にエイズ医療について詳しい知識が無かったことがあげられる。子供に薬をあげるだけで、きちんと服薬したかの確認が出来ていなかった。第2に検査所からの検査結果の考察が出来ていない。結果の用紙をファイルに差し込むだけであった。ある例を紹介しよう。6歳の女子、カルテから最後の検査は約2年前。それ以後まったく検査記録が無かった。7月の来診時の検査では、免疫担当細胞の数、なんとたったの16個。よく日和見感染を起こさず2年間も何事もなかったのが不思議である。通常この年齢の子供たちの免疫担当細胞数は1000から1500個なければならない。明らかに服薬失敗例である。薬剤耐性試験の結果、3種の薬剤のどれ1つも効いていないことが判った。昨年7月のことである。その後、各種の検査を行い、効果が期待出来る薬剤への変更を服薬指導も含め助言した。変更後、驚くばかりの回復振りを見せた例である。効果のある薬剤の正確な服薬がいかに大切であるかを看護師たちは身を持って経験したことであろう。これが我々のエイズ医療のあり方の浸透方法である。机上だけではなく、実物を見せることで、その重要性への理解が深まり、この国の医療の方向が変わりはじめている。この症例にならって、他の子供たち、他の施設へもこのことが継承されていってほしい。

この施設の子供たちへの対応は毎月隔土曜日、スタッフのクリニカルオフィサーのムワジュマと2人で出かけての往診活動、検査日にはスタッフ全員で診療所で対応している。検査日は毎回10名以上の患者の血液検査があり、小さな子供達は待ち時間をもてあましてしまう。そこで、子供向け漫画映画を上映することで対応している。ある日のこと、予約の子供たちの人数より多い子供たちが来ていた。映画だけを見に来た子供たちであった。この映画、実はニューヨークの私のアパートの管理を頼んでいるコロムビア大の学生が録画してくれたものである。このプロジェクト、日本から、ケニアから、そして米国からこのコトレンゴのエイズ孤児の子供たちの未来を支える多くの支援で成り立っている。

 

 

 

 

 

中央 シスターマーシー             スタッフのアリ

 

           

2017ラマダンの断食

 今年のラマダン月間は昨年より約一ヶ月早い5月27日から始まった。今年もイスラム教の人たちの文化習慣を体験しようと、口に一切物を入れてはいけないってどんなこと?イスラム教以外の人たちは普通に食べ、普通に飲み、断食中の人がそれを見るってどういう気持ち?お腹がすきながら仕事をするってどんなこと?午後6時半の日没後の食事の味は?などなど、、、。今年も時間限定、期限限定ながら断食に挑戦しました。限定内容は、朝4時半に起きてのお祈りはなし、日の出までの食事もなし、つまり私のラマダン断食は、朝自宅を出てから帰宅するまでの時間限定の断食への挑戦でした。昨年はタバコとコーヒーは控えながらでも少し頂きましたが、今年は昨年よりイスラム教の人たちに近い状況でした。一日だけ1本吸いました。前の晩ほぼ徹夜に近い仕事のため、眠気覚ましにタバコを吸いたくなったしだいです。スタッフのアリによれば、断食が出来なかった日数分だけを延長すれば良いとの事、6月24日が断食最終日でしたが、一日延長して無事断食を終えました。断食期間の最中に具合が悪くなった人もこのカテゴリーで延長するそうです。   

帰宅してからの食事の美味しいこと(空きっ腹で食事のしたくは大変でしたが、、)、タバコの美味しいこと、お酒の美味しいこと、、、。食への感謝の念が沸いた期間でした。スタッフのアリの奥さんが期間中具合が悪くなり、断食が出来なかった6日間を延長したそうです。アリも奥さんの断食延長に付き合い6日間延長しました。なんと奥さん思いなアリと感心させられました。苦楽を共にする、これが彼らの夫婦愛なのでしょうね。

そして大統領選挙

大統領候補者は8名。と言っても実際には現大統領のウフル・ケニアッタ氏とライラ・オディンガ氏と一騎打ち。オディンガ氏は前々回(2007年)の大統領選でキバキ氏に敗北、逆転選挙結果がきな臭く、国内騒乱にまで発展し、暴動により1000人以上が死亡し、何万人もの国内難民が出た。キバキ氏は騒乱を収めるため、オディンガ氏にケニア始まって以来の首相職を創設、任命した。しかしキバキ氏の次の現大統領のケニアッタ氏は首相職を直ちに廃止してしまった。

そんな因縁から、今年の選挙はどちらが勝利するにせよ、選挙結果発表後、何かが起こってあたり前といわれている。もうすでに起こっているようだ。

しかし、我々にとっての関心ごとは、どちらが勝ったかより、何かが起きたときのことである。前回の選挙では我々外国人には外出禁止に近い状況が続いた期間があった。つまり生活必需品を買いに行くための外出を控えなければならなかったのである。少なくとも我々はその準備を今からしておかなければならない。自宅に缶詰になることを考えて、プロパンガスの充填、自動車および発電機用ガソリン、プレペイド電話やインターネットカード、お米、肉、食用油、卵、野菜類、石鹸などなど。一方、診療の予約も調整が必要だ。少なくとも選挙後1週間から10日間の予約はひかえなければならない。大統領官邸に近い私のアパート付近は警戒のため交通規制が厳しくなるだろう。これが選挙権を持たない我々の選挙へのかかわりである。

                            August 1st 2017 イロビにて

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