(紙上講演)「最新ケニアHIV/AIDS事情”現状と課題”そしてイルファーの活動って?」By稲田副理事長

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NPOイルファー、つまり日本にあるNPOを立ち上げてから2年位がたったんですけれど、支援をして頂いている方に我々が何をしているかをお話しする機会が無かったので、今日は世界エイズデーということで、それに合わせて、我々の活動を支援して頂いている方に是非、簡単に分かって頂こうというのが今回の趣旨です。

私は1976年に渡米しました。

それ以来36年間、コロンビア大学で仕事をしてまいりました。

その途中、1980年にニューヨークあるいはサンフランシスコの方で、(エイズ)患者が出てきたというわけです。

その時代からHIVに付き合ってきたわけですから実際には33年間、HIVと付き合ってきました。おそらく日本人で初めてHIV感染者あるいは患者に接した第1号ではなかったかと自分では思っております。

HIVについては、最近ちょっと話題になりました。あまりいい話題ではないのですけれども輸血によって感染者が一人出てきた、ということで、HIVが取り上げられました。

12月1日は 国際エイズデーといって エイズに対する理解、感染者患者に対する理解、そういうものを深めていこうということになったんですが、このところ日本の新聞紙上では今日が国際エイズデーである事があまり取り上げられていません。今日、家に帰って今日の新聞をみてください。エイズに関する記事があるかどうか。勿論輸血で感染された方に関する記事以外で、一般的な啓発活動としてエイズのニュースがホントにあるかどうか、ちょっと見て下さい。

そういうことで、まず、エイズウイルスのおさらい、どんなウイルスだったのかな、そのウイルスが何をするのかなということから簡単に説明させて頂きます。

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HIVウイルスの種類は最初に書いてあるRNAウイルスなのですが、それは別にしまして、ウイルスというのは生き物ではありません。

言って見れば、任天堂のゲームをやる時にゲームのキッドを任天堂の中に入れる情報として考えて下さい。任天堂のゲーム機にセガのキッドをいれても動かない、そういうような情報として考えて下さい。

セガのカセットはセガの機械に入れなくてはダメだ、そのセガのカセットではない、言ってみれば他の情報がわれわれの中に感染してくる。

つまり、二番目にありますけれども、DNAというのは遺伝子、言ってみれば先ほどの任天堂のカセットのようなもの、だから生き物ではない。ですから当然殺せないのです。ですけれども、その生き物ではない遺伝子情報なのです。

お父さんお母さんがいてその間に子供ができる、その時にお父さんの似た部分、お母さんの似た部分を持ってくる、それが実は遺伝子情報なわけです。

お母さんの眼を取ってこい、あるいは眼の特徴を取ってこい、御父さんの脚の長いところを取ってこい、(僕の父親はきっと脚が短かったのではないかと思うんですが。)ま、そのような情報が遺伝子情報なのですが、HIVウイルスの情報が我々の情報遺伝子の中にはいってしまうのです。

そうするとその入った遺伝子情報を基に、あるたんぱく質を作り出す。作ってしまうとじつはそれがHIVウイルスだったという事です。

だからHIVウイルスというのは、HIVウイルス自体がどんどん1人で増殖するものではなくて実は我々が作り出しているのです。

最終的には作り出している宿主を殺してしまう訳ですから、HIVウイルスとは馬鹿なウイルスですけれども、遺伝子情報として組み込まれるのが免疫をつかさどるそのリンパ球なので、免疫力を維持している兵隊がどんどん壊されていく、壊されていくために免疫能力が低下する、免疫能力が低下していくために、普通ではかからない病気にかかるということになります。

この、免疫能力が低下したときにかかる病気が発症した状態が実はエイズなので。

エイズウイルスが起こす症状というのは実は二つしかありません。

それは今言ったように、兵隊を殺してしまう役目ともう一つは頭に脳に入って脳症を起こす、そのふたつしかエイズウイルスは症状を起こしません。

免疫の低下が起きるために色々な症状がおきる、そういう症状が起きた時に、これをエイズ発症ということになります。

ですからHIV 感染者・エイズを発症した患者さんがそばにいてもいわゆるカジュアルなコンタクトではうつらない、つまり遺伝子が我々の身体に入らなければうつらないということですから一緒に生活をしていても感染はないということです。

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HIVの体内での増殖サイクルです。

ちょっと難しいで、詳細な説明はしませんが、左の上の六角形のものがHIVウイルスです。エイズの原因が、実はHIVウイルスだろうということがわかってから15年位たって、図のようなHIVウイルスの生活サイクルが分かりました。分かる迄は薬を作るのが大変難ししい状況でした。

(参考情報)HIV増殖の過程

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薬ですが、先ほどのスライドのHIV生活サイクルに対して、サイクルが進むのを阻害したり、遅らせたりする抗HIV治療剤が現在できていますが、完全にサイクルを遮断できる根治薬はできていません。

例えば、細胞内進入阻害剤は、HIVウイルスが細胞の中に進入するのを阻害する薬で、2種類の薬があります。

現在では30種類以上の薬がありますが、まだ、エイズウイルスを完全に除く薬はありません。

エイズ発症を抑えることはできるけれど、HIVウイルスを除くことはできないのです。

そういう薬ですから、薬を辞めてしまえば当然、HIVは増えてしまいます。ですから根治ということは不可能なのです。

HIVウイルスにはいろいろな亜種があります。また次々に突然変異で変化していくので、、上記エイズウイルスの増殖を抑えるという薬を三つくらい合わせていろいろな形でウイルスを抑えているというのが現状です。

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1980年代に感染し、そして発病していった患者さん達のエイズを発症してからの余命は半年でした。

発症し入院され、数週間後にICUにいってお亡くなりになるという方たちが大半でしたが現在、この三つの薬をあわせることによって50年から60年生きられることになりました。勿論薬をきちっと飲んでの話です。

60歳代の方が感染し、感染ですから発症まで7年、まあ10年として70歳、それから薬を取り始めて50年から60年生きられるとすれば、いわゆるこれは慢性病、たとえば糖尿病の様な慢性病は一生、薬と付き合っていかなければならない、その状況とともに共存していかなければならないという病気、そのような病気になってきたということです。

昔は、半年ですから、HIV 感染は、死に直結していました。けれども現在では50年から60年生きられる、ですから今私が感染しても十分エイズ発症しないうちに寿命が先に来るという、そういうような時代になりました。

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1980年代に感染し、そして発病していった患者さん達のエイズを発症してからの余命は半年でした。

発症・入院され、数週間後にICUに移動してお亡くなりになるという方たちが大半でしたが、現在、適切な薬をきちんと飲み続けることによって、50年から60年生きられることになりました。

失礼な言い方してしまいますが、60歳の方が感染したとします。感染から発症まで7年、まあ10年として70歳、それから薬を服用始めて50年から60年生きられるとすれば、いわゆる慢性病(たとえば糖尿病の様な慢性病は一生、薬と付き合っていかなければならない、その状況とともに共存していかなければならないという病気)そのような病気になってきたということです。

昔はHIV 感染イコール死、半年ですから、死に直結していました。けれども現在では50年から60年生きられる、ですから今私が感染しても十分エイズ発症しないうちに寿命が先に来るという、そういうような時代になりました。

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まあ、そういうHIVの感染者は、当時はHIVに感染したとわからなかったのですが、80年の始めに色々な方がなくなりました。その一つの事例が、私をHIVエイズの仕事に掻き立てたというか、入らせてしまいました。

1980年代のニューヨークではエイズはゲイの病気、男性同性愛者の病気と捉えられていました。したがって患者に男性同性愛者ということで色々なバッシングがおきていたんです。そのバッシングにたいして感染者の人たちは立ち上がったわけです。

その中に、特にニューヨーク、ニュージャージー、コネチカットという三つの州の日本人の男性同性愛者のコミュニティーがあったわけです。

ここでは名前は出せませんが、いろいろなデザイナー、洋服のデザイナー、それから頭、ヘア―デザイナー、いろいろなある意味では芸術にたけた芸術的なセンスにたけた男性同性愛者の方がいたのです。

一般的な生活は彼らが持っている英語で十分なのですが、病気のことについて、ああだこうだとか、兵隊がどうのとか、リンパ球が下がるとか言われてもチンプンカンプンで、サッパリわからないというのが現状でした。

さらに日本語で、わからないことを聴く相手・場所が全くなかった。そこで、患者さんと接点ができました。

当時は治療を受けても、効果がなかったのです。

そうなると国に帰りたくなる。治療が全く期待できないような中で、日本へ帰ってきて、多くの日本人の男性同性愛者の方たちが亡くなっていきました。

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そんな中での一つの事件なのですけれども、ある日本人の洋服をデザインする、ニューヨークで売れていたデザイナーですが、その方がカリニ性肺炎、つまり免疫を司っている細胞がどんどん少なくなった時に、肺炎を起こす病気です。

肺炎は何とか克服したんですが、治療薬は期待できないので日本で死にたいと言い出したのですが、彼はずっと感染したことを黙っていて自分のお金をどんどんお金を使っていたわけで、帰国するお金がありません。一生懸命みんなでお金を集めて、日本にで帰国させました。

企画語にリンパ腫といういわゆる癌を発病しました。

彼は日本で色々な病院に行ったんですがHIV感染症ということがわかった途端に盥回しにされて、大きな大学病院で盥回しにされ、最後にそこの医療従事者から、この患者を診るとうちの病院では不都合が起きるので先生の所でもう一度診て下さいとの連絡があり、彼は送り返され、うちの病院に戻ってきました。

癌ですから化学療法という治療法があるわけですけれども、彼は全く治療を受けることなくにニューヨークに戻ってきて、最終的には治療効果もなく亡くなった訳です。

同じ人間として希望がかなうか叶わないかは別にしても、生きている間に日本に帰れた人が何故治療も受けずに、日本で死なせてあげることができなかったのかということがぼくにとって非常にジレンマになりました。

癌の治療は、とてつもない日本では出来ない治療ではなくて、単純に化学療法ということなのです。治らないかもしれないが、それなら」、何故日本で死なせてやれなかったかということです。

一人というのは、私が一人で葬式というか、火葬の手続き、位牌の手続きをして、胸にというか手に下げましたけれども位牌を持ってその方の日本のご家族に届けました。

そういうような本当に悔しい思いをしながら、何故日本の先生方は診てくれないのか考え続けました。

スライド-8スライド-8そこで若き稲田青年は、(会場に笑い。)なんで笑うのですか! こりゃまずい、HIV医療として、我々の病院(コロンビア大学付属セントルーカス病院)でどんな事がなされているのかをみてもらえば、医療従事者として眼がさめるのではないか、と思うようになりました。

日本の先生方を呼ぶために経費がかかるわけですが、病院自体が無償で外国人のために研修をやるということはほぼ不可能です。

そこで、寄付をするから、日本の先生の面倒を見て下さいと、一ヶ月間いろいろな研修を受けさせて下さいとお願いしました。

その資金を捻出するために稲田ラング-エイズ研究財団というものを1993年に設立しました。

で、右側にいらっしゃる方がラングさんです。彼は1980年当時、アメリカのエイズ医療者のなかで五指に入る、エイズについて、詳しくものを知っている先生で、その先生が隣の部屋だったこともあって、パートナーになって頂きこのような名前をつけました。

このイルファーというのは、INADA LANG FUNDATION for AIDS RESEARCH

の頭文字をつらねたものですが、実は私の知り合いの知り合いで、ラングさんの知り合いでもある、エリザベステイラーという女優が、エイズ医療に関してアンファー(AMERICAN FUNDATION for AIDS RESEARCH )という財団を設立していて、こういうものを作りたいんだと話をしたら、じゃあ、うちのファーをとれ、使って構わんよということで、AMFARからIRFARという名前をつけさせて頂いたのです。

ですから、エリザベステイラー、あるいはマチルダ クルムさんという方の思いもこの財団名には入っているという事です。

スライド-9スライド-9従って、ILFARの最初の目的が日本人医療従事者の医療研修となりました。

約4週間にわたって色々な先生方をうちの病院で見てもらう。それについては感染症もそうだし、それから妊娠についてもそうだし、色々な科の所に行って研修を受ける、そういうプログラムを作りました。

スライド-10スライド-101993年に二人の先生が来て以来、96年、97年とピークになって2003年には一人だけになりました。

96年から7年にかけてようやく新しい薬が出来てきた、そういう中で日本でも治療ができるようになった。日本でも勉強会が始まった、ということで日本から来られる先生方の数が減って来たのですが、1996年には12名の先生が日本から来ました。

一人4週間です。9時から5時まで4週間やるということは、1年間毎日日本から来られた先生方のために時間を費やすことになります。従って5時、研修の仕事が終わってから自分の仕事を始めたというかなり過酷な時期でした。

スライド-11スライド-11当然のことながら、日本の医療政策上、血友病の患者さんをみる。そして拠点病院でそういう患者さんを診るという意味で左の方の国立の病院あるいは国公立の病院の先生が非常に多かった。その先生方が研修を受け、現在では、拠点病院でHIV/エイズ医療のリーダーシップを取っている、そういう方たちが育ってきました。今から10年前、約20年前に撒いた種がようやく目を出してきた、ということなのでしょう。

スライド-12スライド-12そこで偉そうに、稲田青年じゃない、ちょっと歳とってきましたね。頭もなんか薄くなってきていますけれども、まあそういう意味で日本のエイズ医療従事者を育てた、ということで学会功労賞というものを貰ったのですが、頂いたこの紙よりも副賞の方が大事でした。

スライド-13スライド-13そこで一応、医療従事者の研修ということについて2003年に終わりました。

実際には2003年より前に、ILFARはケニアにおける無料診療ということを少し、始めていたわけです。
その一つの理由は、HIVの薬がようやく出来ても患者は、今は50年60年ですが、20年30年生きられるようになった。でも、その恩恵は実は開発国の患者、すなわちアメリカだとかヨーロッパだとか日本だとか、そういう開発国の患者のみに薬が出回っていた。いろいろな治療が行われている。でもそこにいる感染者の人口というのは世界のHIVエイズ人口からみるとたったの10%前後しかなかった。
じゃあ、出来た薬が世界中のたった10%前後の人たちにしか恩恵がいかないのか、残りの70%~80%が存在するアジア、アフリカにはどうしてそういうものの恩恵が受けられないのか、という疑問から、ケニアという場所、色々な話がありますけれども、ケニアという場所を選んだ。
そこで、HIVの疫学的な調査といいますか、どれくらいの人が、どんな年齢の人が感染しているが、そういう中で何とか薬の恩恵をもたらすことはできないか、ということでイルファーの二つ目の目的としてケニアにおける無料診療、それとエイズ医療体制の構築という活動に入りました。
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そこで活動に入る前に、私がどんな生活をしているか、あるいはケニアというところはどんなところなのかということをチョッとおさらいして、ああ、こんなところでこの人はやっているのかということをご理解いただければと思います。

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ケニアの産業というのはここにもありますようにサファリに代表される観光、これが非常に大きな割合を占めています。重工業がなく、ほとんどが農産物と観光というのが 彼らの資源ということです。

確かに観光者のおとすお金というのは、後で少し出てきますけれども日本並みのホテルの料金を取られる、たとえばインターコンチネンタルという非常に高い、五つ星プラスα―くらいのホテルだと一泊400ドル位とられる。一泊400ドルというのはスラムにすむ方の1年間の給料、これほどの額をとっているわけですね。

まあそういう意味も含めて、観光で、ホテルに、それから自動車を運転するドライバーに、その先のホテルにという形でお金が落ちる。

ところで、ここにあるライオン、下の方ですが、ケニアのライオンは歯を磨くそうです。  ライオン歯磨き。

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、には万人だったのが。。

なぜかですが、電柱を建て、電線を引く、電柱は暫くすればなくなってしまう、電線はそれを切ってどこかに売ればお金になる、というかたちで携帯電話がのしてきたというわけ。

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さらに車で1時間、2時間行きますとこの様ないわゆるケニアの元々の原住民といいますか、そういう方たちが、電話もなく電気もなく暮らしている方達がいっぱいいる。

スライド-18スライド-18さらに、大きな問題というのは、大小52の部族があって、それぞれの言葉がみんな違うことです。ですから名前でわかってしまいます。

たとえば一番多いキクユ族出身の大統領が出ますといわゆる官僚たちは全部キクユ族になってしまいます。さらに今度は他の族がなるとみんなそれ、つまり政党自体が、ケニアでは部族の生き残りに、つまり生き残りのために政党をつくっているのです。
ですからキクユ族の誰かさんに三番目のルオ族の方がアポイントメントをとるともう名前でわかっちゃうので2週間後、2ヶ月後というような変なアポイントメントをくれるわけなんですね。

ところがキクユ族出身の方が予約をとるとすぐにやってくれる。というようにいわゆる部族の対立が政治の対立にまでなっているということ。

スライド-19スライド-19食べ物です。ケニアの食事というのはシンプルでどちらかというとでんぷん質が非常に多い。

で、ここにある白いのはウガリといいまして、白トウモロコシを粉にしましてそれを練った形、ちょっと味がないんで僕はあまり好きではないんですが、今、紅茶をもって来られた方は元々ケニアにいらしてこのウガリがとても大好きな方です。そこにいらっしゃる青山さんの家庭でもウガリがいつも出るという、そういうような食品ですね。

スライド-20スライド-20ということで、ケニアではこういう食べ物があって、ちょっと行けばこういう人たちがいて、街の中では金キラ金のITビジネスが、という形で、このナイロビ市というのは東アフリカ最大の都市、非常に大きい都市で、人口は約300万です。

スライド-21スライド-21300万人程度。しかしながらスライドの左の上に見えますのが先ほどの街の中の大きな建物、20階30階だての建物があります。

しかしながら、そこから15分歩くともうこういうようなスラム街がある。

ナイロビの人口300万の約55%はこのスラム地区に住んでいます。さらに国民全体でいけば60%弱が貧困者のカテゴリーに入る。というわけですね。

スライド-22スライド-22貧困者というのは家族の月収が月8000円、家族の月平均の食費が6000円、ということは2000円しかもう残っていない。

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アパート代が1300円。
このスライドのこれ、アパートです。

ここのスラム地区にも土地を持っているオーナーがいるわけです。その人達が貸しているアパートですね。ですからスラム街にもアパートがある。

スライド-24スライド-24水、電気、こういうのにもかかります。

スライド-25スライド-25一方、国際的な機関から派遣されている方、あるいは国から派遣されている方、そういうかた達はこういう家具付きの高級マンションに住んでおります。勿論私は住んでいません。

スライド-26スライド-26 まあ、キッチンなんか、ベッド於いてもまだスペースがあるくらい広いキッチンですね。
ということでケニアというところは本当にトップからボトムまで大きな貧富の差がある、そういう国です。

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そこでケニアにおけるHIV感染症事業ということについて簡単にご説明いたします。

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ケニアという場所をまずおわかり頂きたい。

大体このアフリカの図というのが、人間の頭がい骨に似ていませんか。

左側が頭で、南アフリカ共和国が顎、モザンビークと書いてあるところが鼻、ケニアというのは丁度頭がい骨の眼、眼のウガンダのところにあるビクトリア湖、その脇にあるのがケニアです。

飛行機で行けば、日本から仁川、ソウルに2時間、ソウルから直行便で、12時間で行ける国です。

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ケニアの感染者は、推定ですけれども、増加していて、現在では人口3000万に対して200万人から300万人です。つまり国民の1割が感染者、患者です。

アメリカはエイズ大国といわれていたのですが、その感染率は1%以下です。

10%、10人に一人、うん、まあな、と思いますけれども、エイズ大国といわれたアメリカでさえも1%以下、0.6%くらいです。

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お父さん、お母さんが感染症あるいはエイズで亡くなった場合、そこに生まれてくる、あるいは残された子供たち、エイズ孤児、もちろんHIVに感染している子供も含めて2010年、数年前ですが、約200万です。

ケニアの3000万の人口の内の200万人以上、約10%弱が親をもたない子供たち、それもエイズ患者で親を亡くした子供たちという現状です。

じゃあ、誰がこの子たちに教育を受けさせるか、国民の10%の子供たちが教育を受けない子供たちになってしまえば将来の労働力とかそういう事に関しても大きな問題が起きてくるはずです。

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そこでHIVに関してどんな事が今、ケニアの医療の世界で行われているのか、つまり、まともな医療は受けられるのかについてです。

僕は、「薬はできたけれども、ケニアあるいはアフリカにおいても、その薬剤の恩恵を!」というような発言をしましたけれども、実際には貧困のために医療施設に出かけられないのです。

1日200円の収入しかない時に50円のバス代を使って病院に行くことはできない。

となると症状が出ても、まあいいやと、我慢してしまう。

さらに2番目ですが、国による患者へのサポートがほとんどない。

3番目、4番目、患者や医療従事者が病気に対する知識不足、あるいは経験不足でうまく病勢をコントロールできない。あるいはどんな薬をあげていいのかわからない。どんな時にどんな検査をしたらいいのかわからない。そういうような状況です。

その下の入手可能なHIV抗薬の限界。つまり先ほどもスライドに写しました30種類の薬があるにもかかわらず、ケニアにはまだ入っていない薬がいっぱいある。さらに、入っていないがために偽物が出回ってくる。ということもケニアでは、あるいはアフリカの中では大きな問題となっている。

さらにフォローアップ、くすりを投薬したけれど症状が出なければほっといて良いのかというとそうではない。きめ細かなフォローアップがない限り、副作用が出たり、さらに薬が効いていなかったり、というものを見つけるための検査が非常に不十分である。

それからHIV エイズ患者への差別や偏見がある。さらに病気が治っても高失業率のために社会復帰が出来ないというのでしたら、生きている方が辛い事になる。治した方が罪作りなことになってしまう。そういうような医療現場の状況です。

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そこで、我々は現地で色々な調査をするために活動を開始しました。

その活動をするために、私がアメリカからケニアに移ったので、アメリカのILFARを閉じざるを得なくなった。

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ということで先ほど山下のほうから話が出ましたが、「6年1組老人の会」というのが名前改め、NPOイルファーになった、そういう経緯があるわけです。

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これがNPOイルファーの下、去年の9月に行われた無料診療キャンプの参加メンバーです。ここにいらっしゃる先生方、みんな日本から駆けつけて下さいました。

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これが今年の先生方ですが、2段目の右から2番目、青山薬剤師さん、この会場にいらっしゃいます。

まあこういう形で2000年以来、約50000人近い地域住民を診てきました。

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これは診療風景ですけれども、公民館を借りまして、外に椅子を並べて並んでもらいます。

左下は受付です。

スライド-37。スライド-37ここは。

なかなか簡単にできません。会場作りに苦労しています。

スライド-38。スライド-38先生は色々なところから参加頂いています。

左の方は神戸から、釧路から札幌から。

スライド-39。スライド-39今回は札幌から歯科医の先生がきて下さいました。

今回はクオリティーを上げるために、 ポータブルのレントゲンを使いました。

このようにきれいな画像をものが数秒以内に見ることができます。そのため、抜歯も非常にやりやすくなったとのことです。

スライド-40。スライド-40鍼灸、いわゆる鍼ですね。

このような、サービスも提供しています。

好評です。

スライド-41スライド-41薬剤部です。

薬が日本から、あるいはケニアからイッパイ来るのですが、先生方が出した処方箋に従って、調剤して患者にわたします。

患者に渡すのも、例年、ポイっと渡さざるをえないのですけれども、今回2人の薬剤師の方が参加されたので、服薬指導ができました。

そのために服薬の失敗例が少なくなったような気がしています。

スライド-42スライド-42検査科には、たまたまケニアで仕事をしていた看護婦さんが参加したいということで参加しました。

スライド-43。スライド-43これはHIVの検査を勧める所なのですが、現地語でないとなかなか難しいので、我々よりも現地の我々のスタッフが頑張ってくれています。

つまり、ワヒリ語でカウンセリングをしています。

スライド-44。スライド-44無料診療の間には、いろいろな患者さんが来られます。この方は喘息で発作がおきて吸入をしなきゃならない状況でした。

スライド-45。スライド-45この患者さんは喧嘩をして頭を殴られちゃって血だらけで来た。場所がないから外で縫ったり切ったり、飛んだり跳ねたり・・・

ま、そんな様な診療をしております。

スライド-46。スライド-46いってみれば難民キャンプの様なものです。

スライド-47。スライド-472000年以来、先ほども申しましたように、49000人近くの患者さんを診ています。

また、3500名の抗体検査をしました。

患者を診たり、検査をすることによって現地の人たちとの接点ができ、さらに接点ができたことで、こういうことをしたら危ないのだよ、こういうことだったら大丈夫だよというようなことを繰り返し、繰り返し、繰り返し13年間教え続けてきました。

スライド-48。スライド-482000年に我々がこの村に入った時の感染率は赤い方が女性、黒い方が男性ですが、赤い方はナント30%以上です。

女性はこの村の約三分の一が感染していた。男性においては20%前後、それが2013年の今年のデータですが比べてみてわかると思うんですが男女とも5%以下になりました。つまりわれわれとの接触、そして情報を提供する、そのことによって彼らが少しでも勉強しHIVの感染を防ぐ、あるいは逆に伝播させないという結果が、この13年間のこの表に現れたのだと思います。

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さらに検査を受ける人ですが、初めて検査を受けるとの患者さん、2003年には約17%が2回目でした。つまり、80%以上の方がこの時は初めての検査でした。現在、2013年では80%以上の方々がもう検査を何回も受けている。

つまり受ければ薬がある。感染が分かっても薬がある。薬があれば生きられるという情報が普及してきたために早めに検査を、そして何回も検査を受けるという結果になったのだと思います。

スライド-50。スライド-50

従いまして、このスラム地区での一般住民を対象とした無料診療活動の目的は、まずは住民との接点をつくることです。

医療現場に行けない人たちがいるわけですから、電車賃がなくて行けない人たちがいるわけですから住民との接点をつくるということです。

さらに東洋人あるいは日本人の医療従事者をそういう場で受け入れてもらうこと。やはり外国人である我々はある意味では白い目で見られる。

あいつらは勝手に来て勝手な時期に帰って行っちゃうというようなことをしたのでは我々の活動の場を得られない。あるいは受け入れられない。

だから、同じ場所、このスラム地区に2000年に入った時から13年間同じ場所で毎年毎年無料診療キャンプを行ってきました。

そしてそこでHIV/エイズの啓発活動、さらに患者の掘り起こし、そして掘り起こされた患者については適切な治療情報を与えることによって次の感染者を生まないという目的も、この無料診療は持っているのです。

スライド-51。スライド-51それでは、二つ目のエイズ医療体制の構築についてお話しをさせて頂きます。

スライド-52。スライド-52さきほども説明しました様に貧困で病院に行けない。患者や医療従事者が全く病気に対する知識が備わっていない。さらにフォローアップ体制が不備で、何か症状がでないと病院にいかない。行った時には手遅れなってしまっています。

スライド-53。スライド-53まず、貧困のために医療施設に行けないということですが、結核以外の治療費は全部有料なのです。結核についても、疑って行った場合、レントゲンを撮り、もし結核でなければレントゲン代を払わなければならないのです。だから、結核を疑っている状況でも、もしそうでなかったらと思って行かないのです。そんな状況でスカラすから、HIVの感染を疑っても病院にはいきません。行けないのです。HIV陽性と分かっても同様です。

だから、我々が所謂日和見感染の色々な病気や通常の疾患を起こさせないように定期的にモニターをして、そして、大丈夫だよとか、チョットまずいなということのすべての情報を無料で提供しているのです。

ケニアでは、こうやって定期的にモニターすることが患者を健康的な状態に保つのに役にたつのです。健康を保てば彼らの出費は無くなるわけです。

スライド-54。スライド-54さらに、患者に、病気や薬剤に対する知識が不足しています。何回も何回も何回も来るたびに同じ事を口を酸っぱくして言っています。

それに、不適切な服薬について教えます。服薬遅延についてです。薬を服用することで60年生きられるようになりましたけれども、服薬は2時間以上ずらししちゃいけないのです。そうなると、電車でなんかあると、ただいま運転を中止しております、何とかの人身事故のため、そんなことを言っていられない訳です。

それだったら、薬を持って歩く指導をする。「あと10分で家に着くから良いだろう。」じゃダメなのです。

病気の原理とか薬剤の効能だとか、更にこれだけしか薬は入手できないよとか、薬剤の種類の説明や、耐性株がどうやったら出来ちゃうのか、それを防ぐためにはどうしたらいいのかというような、ある意味では服薬指導も徹底的に行います。

ケニアのHIV感染者/エイズ患者は、抗ウイルス薬を普通の薬だと思っている。

今日飲まなくても症状は出ない、3日飲まなくても症状がでない。症状がでないから大丈夫と思ってしまうのです。

そうすると、薬がたまる。たまると実は1番上にあります、隣の国に持っていって売っちゃうのです。

というような事が起きている。

それはまずいのだよという意味で服薬指導を徹底的に行う。

スライド-55。スライド-55さらに医療従事者の治療経験不足、知識不足があります。

抗ウイルス薬が効いてるのか、効いてないのかサッパリ理解できないのです。ケニアの医療従事者は、患者を放置しておいて、スライドの様なひどい症状が出るとやっと、何か事を起こすのです。

スライド-56。スライド-56それではHIV医療としては遅いので、我々が無料で定期的なウイルス量の測定だとか耐性ウイルス検査、さらにその病勢把握のための検査を定期的に行っています。そしてスライドの様な電子カルテを作っています。

スライド-57。スライド-57病勢を調べる上で必要な検査も、ケニアの医療機関では有料ですので、なかなか検査を受けられない。また、医療関係者もしようとしない。だから、これも無料でしています。

ケニアでは、検査をして、改善が認められなくても、悪い症状がでなければ、なにも対処をしてくれない医療機関が多いのです。

対応してくれる医療機関でも、検査も不定期で、採血してから結果がでるまで3ヶ月以上かかってしまいます。。

さらに、人の結果を別の人にあげてしまうようなミスハンドリング、いわゆる検査上の不適切な取り扱い、そういうものに対して、患者にそのプロセスを教えるのです。

血液を採る。採るとこの時間以内にこうする。だから、放置された血液では意味が無いことを患者に得々と教え、患者から「私の血液はどうなっているんですか」と医療従事者に言わせる。

そういうかたちで患者を通じて現地の医療従事者の教育というものを、直接的でなく間接的にしています。

患者が文句言い始める。実はこれはニューヨークの同性愛者に起こったことなのです。

同性愛者の方は自分たちでお金をためて学会に行って、その学会の資料を持って、自分の医療従事者に会って、「先生、あそこの学会ではこういう薬を使っていましたが、何故、うちでは使えないのですか」と訴えた。

患者をそのような形で教育をすることで、患者を通じてそれを受け取った心ある医療従事者だったら気がついて医療体制を変えてくれるだろう。と信じて行っています。これが患者教育の目的の一つなのです。

スライド-58。スライド-58このスライドは一つの例なのですが、我々の免疫担当細胞というのは約1500位ある。これでいくと、この患者さんが医療機関に行った時は、一番左の方、11しかありません。とんでも8分歩いて10分、それくらいのとんでもなく少ない量だった。そこで、医療機関が薬を与えた。その結果、少しずつ免疫担当細胞数は上がってきたのですが、下がり始めた。下がり始めた177の2007年10月から64の2009年4月まで1年半の間、完全に薬が効いてないのです。でも、医療関係者は、患者に症状が出てこないから安心していて、1年半の間、放置していました。

そんな状況の患者3さんをお世話をすることになって、我々は様々な検査をしました。この薬は効いてない、この薬とこの薬は効いてないこの薬は30%効いている、ということ等、色々な解析結果を患者2に伝え、また、患者を通じて医療関係者に伝え、薬を変えてもらいまいた。その結果、今、400いくつまで上がっています。

このような対応が実は全くなされてないのです。

つまりこうすればこの人は上手くいっている、こうすればこの人は上手くいっていないということが分かる。こんな検査があるのだよというのを患者の例を使って示すというのが医療従事者への教育方法として我々のやっていることです。

にゅーヨークの経験から、医療関係者の意識が変われば、医療体制そのものが変わって行く。医療関係者が変える活動を開始すると思っています

スライド-59。スライド-59さきほども言いました薬の限界、ここにある薬は全部、先ほどいった30種類の薬ですが、アメリカ、日本、ヨーロッパでは入手可能です。

ところが、ケニアで入手可能なものはこの黄色い部分しかない。黄色い部分だけとっていると、2回だけ失敗してもいい、3回目はもうないです。

というように、こんな薬があるけれど手に入らない、だから今飲んでいるあなたの薬はこれが最後だよ、きちんと飲まないと明日は命がないよと言って、まあ脅かすわけです。

ケニアのHIV感染者・エイズ患者、それも知らない。薬は限りなくあると思っている。つまり、一番最初の列、あの中で、一つでも二つでも耐性株が出来ちゃうと他の薬が効かないんです。つまり、あれがダメならコレ、という訳に行かなくなってしまうということもほとんど知らない。

そういうような患者教育をして、服薬をきちっとしてもらうようにするわけ。

スライド-60。スライド-60さらに病気を治して元気になっちゃったけれども仕事がない。じゃ今度は餓死しちゃうというわけ。そいうような形で、エイズ医療というものが新しい治療も大切だとすれば、そのエイズ医療の中で彼らにあげられる職業はないだろうか。

カバン持ちでもいいです。薬屋さんに行って買ってきて貰うんでもいいです。先ほども言いましたように一日200円あれば何とか食べていけるわけですから、1日100円になる、あるいは1日200円になる職業を彼らに、このエイズ医療の中で構築していく。あるいは創設していくという事が彼らの社会復帰をうながす一つの要因になるんじゃないか。

スライド-61。スライド-61ということでNPOイルファーというのはエイズ医療のあるべき姿を患者や医療従事者に見せて、患者を通じて現地医療従事者の教育をしています。ですから我々は投薬していません。

我々は診療所を持っている、だから投薬して患者を診ていると思われるでしょうが、いや、違います。

投薬はいっさいしていません。

投薬をこうするのですよという情報を医療従事者に与える、あるいは患者に与えるという方法をとっています。

そして適切な医療体制を浸透させ、さらに向上させ、さらに強化させる、その結果、服薬失敗例がなくなる。

失敗が無くなれば当然、ウィルス量が少ない訳ですから他への感染も少なくなる。

そして結果的にはHIV薬剤の恩恵、健康の維持、そして延命につながる。

地域感染者あるいは伝播の減少ということにつながるはずです。

ニューヨークではそうでした。

 スライド-62。スライド-62その他に、食材サポート、じつは先ほどコメントしたエイズ孤児も含めての話なのですが、国際ソロプチミスト安城というところによる、このプログラムに用途限定をしての支援をして頂いています。

そのご厚志から、これまでに、お米2.3トン、食用オイル350リットル、炭俵120俵を届けています。

スライド-63。スライド-63このスライドの左側の女性は。今、紅茶を配って頂いた方です。

彼女はここの紅茶に惚れてケニアまで行って、そのオーナー一緒に仕事をさせて下さいと嘆願し、毎日毎日怒鳴られながら仕事をし、現在日本事務所をまかせられているほどの紅茶に愛着を持っている方です。

現地にいらっしゃるときは食材提供を手伝って頂きました。

美味しいですか?買ってあげて下さい。

それから右側の女性は日本赤十字社から派遣されている方で、1ヶ月に1回、全部のお米をスーパーマーケットで仕入れ、油、炭を買って、届けて頂いている方です。

スライド-64スライド-64さらにこれは子供たちに食事を提供しているところです、茶碗ではなくておおきなお盆にご飯を盛って、それをみんなで、手づかみで食べます。

スライド-65スライド-65もうひとつは、地域の恵まれないこどもたちへのサポートです。

スライド-66。スライド-66スラムの中に、公立学校に行けない子供たちを集めた、半分私立のような学校があります。そこにボールペンだとかノートだとかそういうものを寄付しています。

コミュニティーサービスといっていいでしょうか、そういう形のサポートです。

スライド-67。スライド-67もう一つは最近始めたプロジェクトです。

いろいろな意味での我々の無料診療を通じて色々な体験ができないかということで、

スライド-68。スライド-68医学部の学生さんが、前回来て頂きました。

将来彼らは医療従事者になるわけですが、

医療って誰のためなのか、

自分のお金を儲けるためなのか、

それとも、本当に困っている人たちに自分たちの知識と経験を提供するのか、

そんなかことを考え、答えを探してしてもらいたいのです。

申し込みがあれば体験の場を提供することを始めています。

勿論、医療従事者以外の方にも、体験の場を開放しています。

スライド-69。スライド-69ということで、我々の今までの活動はアメリカから日本からあるいはケニアから

スライド-70。スライド-70600名以上にも及ぶ医療従事者、非医療従事者のボランティアが参加、支援、これがなければ当然出来ませんでした。続けられませんでした

スライド-71。スライド-71感染者・エイズ患者に抗HIV薬の恩恵をもたらすために今までやってきました。

スライド-72。スライド-72このプロジェクトを13年間やってきたわけですが、ほんとうに多くの企業、あるいは団体、あるいは個人の方からの支援を頂いてきた結果、現在、活動を続けることができています。

スライド-73スライド-73ということで、非常にわかりにくかった事と思いますが、(理事長が言うから間違いない)ご聴講ありがとう御座います。

これから、まだまだ続けなければならないと思っています。

ある意味では終わりがないのかもしれませんが、私はもうアメリカにも日本にも帰る気はありません。

向こうで最後になっても良いと思っています。そういう気持ちでこれからも続けます。

これからも色々な形でサポートして下されば幸いです。

Q&A(質疑応答)

稲田:一般的に、我々がケニアで活動をしているというと、投薬をしているとお考えになる方が非常に多いと思うのですけれど、していません。

ケニアには、いろんな外国のグループ、たとえば国境なき医師団とか、が入っていることは入っています。

例えば、国境なき医師団に寄付をすると、国境なき医師団の先生方が向こうに行って現場で何かしているという印象が非常に強いと思うのですが、勿論、そういうグループもあるのですが、ほとんどが資金だけ流れて向こうで実際患者さん達を診ているのはケニアの人達なんです。

国境なき医師団からのお金を、国境なき医師団の人たちが管理しながらやっていますが、知識や経験を持った医療従事者が診療をしていないところが非常に多い。

ここの村には診療所がないからといって建てる。建てるがそこで診ている先生はケニア人という形なのです。経験者が現場の中に入って継続的に診ているというグループは非常に少ないのです。

で、僕らがやっていることは、先ほどのスライドの中にありました様に、患者に投薬するのではなくて、患者の状態を患者に、一例一例、症例報告の様な形で見せて、こんな時にはこんな検査をする、この時にはこの検査をするということを示す。

そうすると患者はだんだん良くなるのです。

あっ、なるほど、こういう時にこういう検査をすればいいのかという形で教育をしているので非常に時間がかかります。

現場でババッとやってしまうということは非常に難しい事なのですが、それを上手く成功させた国があります。ボツアナです。

ボツアナはダイアモンドが採れるお金持の国ですが、スライドに示したように、国民の30数%が感染しているという国です。

何とかしないと、国民がいなくなってしまう。いなくなれば政府というものの存在があり得ないことになります。で、大統領が判断して、自分の国で採れたダイアモンドをお金にして、外国からの医療従事者を必要なだけ入れました。

そして外国からの医療従事者に診させたので、その結果、感染者が少なくなってきています。つまり、一人二人を雇ったのではなくて、必要な医療従事者全員、100人、200人の単位で雇ったのです。

そういうやり方で、ボツアナは、感染率が現在では5%以下になっています。

きちっとした医療をしないと間違いが起きるのです。起きれば起きるほど薬を開発した国にとって脅威になります。一つの薬を開発するのに400億ドル、500億ドルというお金がかかります。きちんとした教育、指導無しに、薬をばらまいてしまったために、いい加減に飲まれてしまい、その結果、耐性株が出来てきてしまい、その耐性株がその国だけに収まれば良いのですがその国から外に出ていく。

外に出ていくと今度はヨーロッパにも回るアメリカにも回るということで、実は製薬会社はパテントを盾に、そうならないように、薬を現地には出さないのです。

先ほどケニアで入手可能でない薬とご紹介した薬の中には良い薬がいっぱいあるのですが、せっかくお金をかけて作った薬をそこでダメにされたくない、ですから出さないという事があるんですね。

そのように、きちっとした医療を、確かに時間がかかるとは思うのですが、こうあるべきだと思う医療の在り方を教えて行くことが、最終的には一般的な診療のクオリティーといいますかそういうものにも影響してくる。そんなつもりで活動しています。

ですから診療所を作ったと申しましたが、(熱があれば等)の簡単な投薬は別にしても抗HIV薬はいっさい投薬していないのが我々のやり方です。

山下:ちょっと補足というか、質問が出るきっかけとしてお話します。

我々の仲間内で、稲田の現地での活動に関して「わからない、一体何やっているんだ、どんなやり方やってるんだ」ということを議論をすることがあります。その時に結果として稲田から出る答えはいまのような話です。

それは、ューヨークで最初にゲイにエイズが出始めて、ゲイに対して薬の開発だとか、診療をちゃんとしなくちゃいけないということを一般化していく過程の中で、ゲイの人たちが行動・主張をした。

その再現を「我々に適切な治療をしてくれ」というような事をケニアの感染者、医療従事者に主張して欲しいので、このような活動をしているのです。

そのためにはエイズ患者さん、HIVの感染者さんに、「自分たちは、こういう医療処置をされるべきだ、世の中にはこういうことがあるんだ」というようなことを自覚してもらい、わかって貰っていたいのだ。そのためには説明したような事をやって行くんだと(稲田は)言っているんですね。

そんなまどろっこしい事やってないで、デモで旗を掲げてワーッとやったらどうだと言ったら、(稲田から)「殺されちゃう」との答えが返ってきました。ケニアはそういう世界なのですね。

国は貧しいから、お金の分配で、エイズを優先に出来ないのですね。エイズ対策にお金を分配してもらう爲には、現場の声というか、まず、感染者さん、患者さんの声があって、それを診ている医療関係者が声をあげてということが必要なのですね。

そんなこんなでこのような活動をしているわけです。

活動をする中で、稲田は感染者さんの体調、薬が本当に合っているのかあっていないのかを把握してすぐ、患者・感染者さんに知らせたいのです。そのために自前の計測装置が欲しい。何かないかと言い出しました。いろいろ捜したら、富士フイルムさんにドライで、血液の上澄みを1滴たらすと色が変わって、色の濃度を測定することで、体調がわかる、そういう器械があることが分かりました。

何とかそれを使いたい。中古でしか買えないが、何とか我々に売ってくれないかと申し込んだら、富士フイルムの担当の部長さんが、「丁度機会の切え時期で、古いのがあるから」と寄贈して頂きました。それが3種の神器の一つ目です。さっき500とか200とか数値が低くなって又上がったというのがありましたが、あれを測定するのも現場でやりたい、それも何とか手に入れました。3種の神器の二つ目です。さらに手に入れたいのが、身体の中のウイルス量を測る測定器です。これが3つ目です。これはまだ手元に有りませんので、外注に出しています。

稲田は、かわいそうに無給です。

皆さんから頂いた寄付金とか助成金とかで、宿舎と最低限の食費の実費はイルファーで出していますがそれ以外の報酬は出していません。他の日本のメンバーにも報酬は出していません。

20年間、年に2回、無料診療キャンプやっていましたが、資金が続かなくなってこの2年くらい、年に1回になっています。

ことに、東日本大震災が起きまして、勿論、被害者をサポートしなければいけない訳ですが、日本の中の寄付が、皆むこうにいっちゃうんですよ。われわれも方に回ってこない。それと共に、もうHIVやエイズは日本の問題ではない、という風に理解されているのですね。だからある意味、見捨てられている。まあそんなこんなですが、何かご質問ございませんか。

Q:一番の予防って、僕の知る限りではコンドームですが、そういうものの導入とかは進んでいるのですか。

稲田:宗教上の問題があります。

イスラム圏では女性の地位が低い。そして一人のご主人に対して4人までかな、5人までかな?( ぼくなんて一人で持て余しているので、そんなに多いと叶わないなと思うんですけれども、)持って良いのです。

そのバックボーンがイスラム教の中にあります。

その一つの理由は子供の死亡率が非常に高いことです。そのために一人の奥さんに子供を作っても、10歳まで育てて死んでしまう。またつぎを育てるのは大変だから、0歳児を5人でつくってしまう。そうするとその半分が10歳までになくなる、残りの半分が10歳から20歳、このようにしないと子孫が残せないのです。

それから逆に奥さんを4人持てるという財力、そういう力ある方の種を残したい。動物とチョット似ているのかな、強者の子孫をのこさせる。そんな仕組みになっています。

子孫を残さなければいけないので、そんなシステムになっているので、子供を作る行為をブロックするものはノーなんですね。だから、コンドームの使用は禁止されています。

しかし、実は最近は子供の死亡率も低くなってきて、イスラム教の方も隠れて「くれ」と言います、我々も一応用意していますが、まあ、一般的には普及していません。

コンドームの使用よりももっともっと大事なことは感染者を見つけて早期にウイルス量を減らすことです。感染者たちのウイルス量が低い状態にキープさせることが次への感染を防ぐことになっているのです。

これは2012年、去年ですが、イギリスのサイエンスという雑誌に南アフリカ共和国のデータがようやく出ました。

そのメインの結果は薬をとることによってウイルス量が下がる、そういう人たちとの接触でもウイルス量が少ないから次への伝播がしにくくなっているということです。

問題はかからないにすることではなくて、かからせないようにすることです。

感染者をきちっと把握することが最終的には予防になるのです。

だから、きちんと薬を飲め、自分の大切な奥さんやご主人にうつして良いのかと啓発をしています。それで、明らかにデーターの上では感染者は少なくなっています。

外国、特に貧困層の多いころでの宗教色というのは我々には考えにくいほどの強いものがあって、表向きは避妊具は使いません。

今でも、僕らの村の中でもイスラム教の子供たちは男女別々に勉強しているんです。同じ席ではない。だから、コンドームのように、単に物理的なものでバリアを作ってというよりは、逆に、きちっと相手の事を思って自分の大切な人に感染させないという形での教育の方が大事なんじゃないかと思います。

ですから、コンドームのような物理的なものを感染予防に使うということに僕は反対です。あまりいい印象をもっていないですね。それだったら誰とSEXしてもいいじゃないかということになります。そうではなくて、相手の事を考えた上で、自分の持っているものを相手にうつさないという立場ならまだしも、相手から貰いたくないためにコンドームを使うという図式だったら逆効果という気がします。

まあそういう形で啓発活動を患者さんを通じて行っています。

もう一つはもっともっと大きな問題で、男女の地位の差というもの。ご主人が陽性じゃないかと思ってもSEXを拒否できないところがあるんですね、難しいことです。

山下:ケニアで、HIVの保菌者であるとかエイズにかかっているということはどう見られ、どう位置付けられているのですか。日本だとある程度隠してはいるけれど、それほどつまはじきにはされなくなってきました。

稲田:たとえばスラムで、HIVの感染者らしき人たちが亡くなった場合、彼はHIVで亡くなったからと誰も葬式を出さない。さわりたくない。さらに遺体が腐乱するような状況で悪臭も漂うとなるとようやく衛生局が腐ったものとして持っていく。もっていった途端、その家には火がつけられる。それほどHIVというものに対して恐怖を持っていた時代がありました。それは10年くらい前でしょうね。

今僕らがやっていることは、「HIVに感染していても家事とか洗濯とか一般の日常生活では感染がないということ、更に薬があって60年生きられるんだということ」を知らせることです。そんな活動の成果でしょうか、だんだん偏見差別がなくなってきました。

但し、やっぱりそういう教育、情報を知らない人達にとっては感染者というものはそばにいてほしくない。という意識はかなりありますね。

ケニアの中で有名な方、歌手だとか政治家だとかは、いまだに、感染者として表に出てこられないので、秘密裏の内に治療をしています。キクユ族のあの有名な歌手が感染者だったとかね、エイズ患者だったとわかると、まだまだ大変です。

カミングアウトする、マジックジョンソンやらいろんな人たちがカミングアウトしたような状況まではまだいっていない。

そういう人たちが拳をあげて偏見はいけない、差別をしてはいけないんだよと言ってくれる時代が来ればいいんですがね、まだまだそこまでいろんな人たちに情報が亘っていないのでそういう人たちはまだ表に出てこられない。黙っています。

ま、それも実はさっきお話しした薬の転売に繋がっているのです。そういう人たちは病院に行けないが薬は欲しいわけです。薬を扱うディーラーが居て、おい、どっかで薬、入らないかということになります。このディーラーはいろいろ探して、ある患者を見つけると『金になる話があるけどどうだ』と持ちかけます。 その人は病院に行って薬をとってくる。次は、C病院やD病院に行って初めて検査をしたような顔をして行く。

すると、「おっ、あなたは陽性です。薬を飲みなさい。」ということになる。こっちの病院で一人分、こっちの病院で一人分、この一人分をディーラーに売る。

で、このディーラーは又その10倍20倍の値段で有名な人とかに売るわけですね。ですから、まだまだその意味では偏見はとれていないというわけです。

Q:HIV感染に対して、黒人は黄色人種や白色人種より抵抗性が少しあるという風に聴いたことがあるんです。そのために、すごくHIVの量を少なくなれば効果的に蔓延を抑制できるのかなとおもいましたが?

稲田:ニューヨクにいた時に黒人と白人の差は感じられなかったですね。

ただし、アフリカでの病気で、あるウイルスに感染しているとそのウイルスがHIVの増殖を妨げることは知られています。だからそういうウイルスに毒性を持たせないで、ウイルスを入れてあげるような方法でHIVをやっつける、つまりウイルスを食うウイルスを作るという試みがされています。そういうウイルスがあることはあるのですがアフリカの人たちがそういうウイルスに感染しているかというとそうでもない。

人種によって発病の率だとか 速度が速いとかあまり感じたことないですね。

山下:何年か前にケニアのHIVの感染率が20何パーセントとか30%とか言われた時期がありました。さっきの説明では10%になったとのことです。HIVの感染は治らないということですから、この算数はおかしいのではありませんか。

稲田:いや、おかしくないですよ。

このスライドですが、確かに2000年に入ったころは30%~40%の感染です。

これは新規の患者ですから、今までそこにいる患者のパーセンテージじゃないですよ。

じゃあ今どのくらいかというと2006年にケニアに新しい薬がタダで入るようになって、この患者さん達は薬を服用していればそのまま感染者のままなのです。だからエイズウイルスに感染しながら薬を採っている人はこのまま、きっと残っていると思います。ここに出てくる数字は調べた人に関する感染率であって、村の人たち全部をはかった訳じゃない。

この2006年から2007年にかけて、 約15から20%位の人が、感染が分かり薬を服用し、ふつうに生存しているならば、今の村の感染率は20%位です。

リスクがあったかなと、それじゃあ検査しておこうかなのという人のなかで、感染している人が5%以下になったということで、実際その村では20%前後が感染しているのです。

勿論、薬を採っていると思います。

でも村の20%がエイズ患者、こんなことはとてもとても。アメリカだったら考えられないですよね。

山下:つまり、感染率が10%とか言っているのは嘘であって、実際は20~30のパーセンテージがありますよっていうことですね。

稻田:今日、申し上げた感染率は新規の感染者で、人口全体に対するものではありません。

Q:こちらの数字は、自分が感染しているかどうか調べに来ている人に関しての

新規の感染者とおっしゃいました。つきましては2000年から2013年にかけて、先生の所で調べてほしいという人の推移について教えてほしい。

稲田:次のスライド、だしてください。たとえばこの2011年、12年、13年の3本の 80%を超えている人は少なくとも2回以上受けている人です。我々の所に過去の受検の記録がある人です。

受検者には、初めて検査をした方(中には、他で受けた人もいます。)とリピーターがいます。リピーターに関しては、ネガティブ。ネガティブ、ネガティブという患者さんがポジティブになったのも分かります。

そういう形でデーターを解析しながら感染率は下がっているという風に出しています。

ですから、陽性者が、偽って、初めての検査だと言われてしまう可能性はあります。

僕は一応問診しますが、嘘を言ったら、きちんとしたアドバイスができないと、30分位かけてアドバイスを行うんです。事実を言ってくれないと間違ったコメント、間違った方向性をあなたに伝えてしまうから、あなたにとって意味がない、悪い結果になるから全部真実を言って下さいということを得々と喋るのです。

昨日一昨日の新聞で、献血した人が虚偽の報告をしたことが載っていました。ああいうことを言われると困っちゃうわけですね。

実は自分の感染を、別の所で薬を貰っているにもかかわらず、初めてだと言ってきた人がいました。実はこの13年間の受検者のなまえを全部とってあるんです。コンピューターに入れなおして。アルファベットで言われるとパーっと。あれっ、山田よしこがここで受けているじゃないか。陽性じゃないか、わかるわけです。山田たえこと言われちゃうと困るんです。別の人になっちゃう。そういうこととか年齢とか、子供は何人いるかとか、どこで検査を受けたかとかいうデーターを全部入れて、それを新しく受けた人にマッチさせる。そして何回来ている。

これは自慢していいのかどうかわかりませんが、我々もところで検査を受けた、あるいは別の所で検査を受けたという人から何年か経って感染者が出た場合、うちでカウンセリングを受けた患者からの感染者は殆どでていない。他の検査所でいい加減に指導された方の中にポチポチ出ています。

我々が医療従事者と接して、きちっとした内容の事を的確に伝えている、その結果になっているのかなという気がします。

山下:(質問者に)よろしいですか。

質問者:はい。

山下:ちょっと補足しますと、稲田が現地で事務所をやっています。

そこで面倒をみている患者さんには2通りあります。

一つは無料診療キャンプの時に他の病気で来られた方に「検査してみませんか」とお誘いをして検査した人。まあ、長い間には我々の活動を知っているから「検査してください」と来る人もいますが、それで検査した人も含みます。無料診療キャンプはエイズ検査をしていることのカモフラージュなっています。さっきも稲田の説明にあったように、ケニアでもエイズに罹っているかもしれないよということが知られちゃうと結構色眼で見られちゃうから、あそこに行くのは単に病気をみて貰いに行くのよということでやって、そこで、声をかけて検査した結果、HIVに罹ってますねということでフォローを開始した方が一つ。

 

それからもう一つはこういう活動、患者さんに対して検査データーからこういう状態だからこうした方が良いよとかアドバイスする内に、医療機関の方が、あそこは有意義なサポートしてくれるよねということがあって、自分たちのところの難しい患者さんを送りこんできた患者さん。

その2種類の方達がいて、現在160名位の人の御世話をしている、という状況です。

従って、さあ、いらっしゃいという形ではないんで、データー的にどうかというのがあるんですけれど、まあそういう状況です。

大体、近隣の医療機関から送られてくる方は、そこでは処置に困って人が多いんです。

稲田:多くなってきましたね。紹介がね。

ある患者を通じて「こうあるべきだ」とアドバイスをして、向こうがその指示に従って処置を変えてみる。そうすると患者が良くなる、「チョット待て、アッチの患者、じつはこの患者に似ているじゃないか」といって気がついてくれる医療従事者がいれば、それを今度は僕らに紹介して、また同じように、ちょっと前とは違うけれどもカテゴリーは同じでこうした方がいいよとアドバイスして、又よくなる。

良くなる例を見せるとだんだんやりたくなるわけですよ。心ある医療従事者であれば次へのステップにして、コミニュケーションがひろがる。

隣の医者に「あそこに出したら結構みんな良くなっちゃったよ」という噂を拡げられれば。

今まではスラムの徒歩圏内の患者さん、電車賃のかからない患者さんをターゲットにしていましたが、同じ病院に通ういろんな患者さんの中の所謂ネクタイ組、多少お金を持っている人たちも噂を聴いてくるようになった。

「噂を信じちゃいけないよ」という歌がありましたが、そういうところまで我々がやっていることが広がってきている。

時間はかかっているのですが、単にそういう医療機関に行って、こうすべきだといっても即は聞いてくれない。

やっぱり現物をみて、よくなった患者がどんなデーターを基に良くなってきたかというのを彼らが理解すれば、広がっていくと思うのです。

山下:そんなこんなで活動しています。

私どもの活動には、あそこに病院を作りましたとか、何人の患者さんを治しましたとか治療していますとか、そういう派手な事は全然ありません。

ですから非常にわかりにくいらしいです。

今説明したような問題があるらしいわねという問題意識と、それに対して何か活動している人たちがいるよというお話しを回りの人にして頂ければ、我々の活動が少しでも理解され、結果として稲田が活動しやすいような環境が出来てくるのではないかと思いますので、よろしくご紹介の程お願い致します。

今日は永い間、ありがとうございました。

 

END

補足:この講演は以下の先触れを受けています。

私NPO法人イルファーの理事長をやっております山下と申します。

NPO法人イルファーというのは、稲田はずーっとアメリカの研究財団の、これもILFAR(イルファー)と書くのですけれど、 稲田・ラング・エイズ研究財団というのでずっと活動していたのですけれども、まあ、後でも話が出ると思いますが、ケニアの現地に行って活動した方が良いということで、行ってしまいました。そうするとアメリカの財団が運営できなくなっちゃうということで、日本で受け皿になる組織をつくってくれないかという話があって、嫌々、小学校の同級生のメンバーが中心になって作った組織、だから今の運営母体、運営しているのは同級生、さらに拡大して同学年の連中で、みんな稲田と同じ年ですが、皆苦労していないため、稲田より若く見えます。

それで今日はですね、タイミングよく稲田が時間がとれたものですから、このような場をもたせて頂きました。稲田には、この表題にもあるように現在ケニアの状況がどういうことかということと我々がやっている活動がどんなものかということをわかり易く説明して下さいとお願いしてあります。

でもきっと分かりにくいと思います。既に京都で同様な内容の講演をやりました。その時に、きっと分かりにくいんだろうと思って、同席しました。

やっぱり分かりにくく感じたので、参加者に聴いてみました。やっぱりわかりにくいとの答えが返ってきました。でも、それはよかったのですよね、今日のためにもっとわかりやすくしなくちゃいけないという課題がみつかったからです。

だから、今日はわかりやすく話して頂けると思いますけれど、途中でわからなかったら「わかんない」とか「そこのところもうちょっと説明しろ」と発言されて結構です。

稲田先生、稲田副理事長、どうぞ。

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